私の配偶者は「ケチ田溜め夫」と言うべき人で、ドケチなのはおカネの浪費をしないので有難いのだが、とにかく、モノを溜め込む!そして、彼の部屋は「ほぼ汚部屋」だ。
いわゆる汚部屋と違うのは、ケチ田溜め夫は、誰がみても「ほぼ汚部屋」「もうすぐ汚部屋」にもかかわらず、どこに何が有るかちゃんと把握している点だ。
一方、私は、雑然とした部屋にいると、心がもの凄くすさんでしまうので、別の部屋に寝起きしている。
ケチ田溜め夫のスゴい所は、「人の労働時間はタダ」と思っているところだ。とんでもなく人件費を低く見積もるところは、感動的ですらある。「時は金なり」とは、「他人様にお手数をかけた時は、相応の時間価値をお支払いして報いる」という意味合いもあると思う。だが、溜め夫は、業者さんをはじめありとあらゆる他人の労務をタダだと思っているフシがある。とんでもない思い違いだ!これは、溜め夫の、人にカネを払いたくないドケチぶりを表すひとつの側面だが、当然、家の片付けの敢行中の私のマンアワーもタダと思っている。言葉で言い返すと「オレが働いているからお前は生きていられるんだ!」と同意の内容を都度言われる。それを言われると、経済弱者は反論できない。
だから、私は若い頃から痛感している。女こそ、カネの蓄えが必要なのだと。特権階級のお姫様方ではない、庶民の女性の成功パターンの最たるものは、一流企業に就職して「お局様」と言われようと、どんな「ショムニ」に左遷されようと、しぶとくガメつく会社にしがみついて、定年までしっかり勤め上げて手厚い年金の受給資格を勝ち取ることだ。女こそ、分厚いカネの真綿(まわた)でしっかり自分の存在を防御しないと、齢を取るにつれて不利になっていくと思う。
カネが付いていない女は、未婚も既婚も、大変に弱い存在だ。サザエさんは、家付き娘だから、あんなに伸び伸びしていられるのだ。だって実家住まいで、姑に気を遣う必要が無いから。私は、サザエさんが心底うらやましい。だが、いつか、磯野家の長男であるカツオが成人すれば、フグ田サザエはどうなるのか?そして、終始一貫して哀れなのは、ワカメちゃんである。彼女は、ゆくゆくは家を出るしかない。だから、長女のサザエさんや長男のカツオに比べて、ワカメにはしおらしく従順な雰囲気があり、やがて実家から追い出される身の上を案じさせて、哀れだ。だから、わたしはサザエさんを視るのが嫌いだ。ワカメを見ていると、彼女の行く末が案じられて、いたたまれなくなるからだ。
そんな私も、結婚30年にして、もう離婚はされないと確信してから、ようやく自分を出すことができるようになった。人生は、自分の意のままになるまで、ゆうに半世紀はかかることもある、まさにマラソンレースだ。半世紀。長かった。それまで、精神的に寒かった。今も、精神的に寒い。カネが付いていない女にとって、世の中は、灰色で、寒い。これからも、私の見る世の中はバラ色になることは、ないだろう。夫の経済力は、妻のものでは、ない。「女は三界に家無し」と言われたが、その通りだ。経済力が伴わない女は、弱すぎる存在だ。だからこそ、女の人生は、一生涯をかけた勝負なのだ。
「男はつらいよ」そう思う。だが、女も同じくらいつらいよ。
「目には目を、歯には歯を」のイスラムの教えは、極めて合理的で妥当だ。ということで、ケチ田溜め夫が会社の会合などからセコく持ち帰ってきた膨大な量のスティックシュガーを、このあいだせっかく私がひとつひとつ開封して砂糖壺に移し替えたのに、数日たたずして、再びどこかからギッてきたスティックシュガーを発見して、もうやる気に水を賭けられてウンザリしたので、今朝、溜め夫がどこかからギッてきたスティックシュガーやスティック緑茶やスティックほうじ茶を、玄関の叩きにぶちまけた。そこまでやらないとケチ田溜め夫の心に刺さらないのだ。そこまでやらなければならない私は、どんどん心がすさんでいく。ほんとうは、こんなこと誰がやりたいだろうか!?私は子どもの頃は素朴でほのぼのしていたのに、結婚してからというもの、眉間にしわが寄り、人相が悪くなり、いつも世の中を疑いの目で睨みつける人間になってしまった。死んだ後は、川の向こうのお花畑に行って、のんびり、ほのぼのと、暮らしたい。
🍊🍊🍊🍊🍊
今日も、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。
モノについて
モ① もらったモノは、基本的に捨てる。
モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。
例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、
死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、
保有し続ける。
モ③ つまらないモノには、近寄らない。
ストレスについて
ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。
ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。
ス③ つまらない情報には、近寄らない。
このブログの目的は、還暦を目前に、
家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ
「シニアの実(み)の成るライフ」を追求することである。
アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、
「シニアの実(み)の成るライフ」を目指していく。
家の中も、脳の中も、
溜めすぎるな!