加齢⇒体の弱体化によって、カネで物事を解決せざるを得ないことが増えてきた。
①粗大ごみ:
今回の大規模な捨て活において、粗大ごみ処理券の合計金額は1万円ほどになった。そのうち、若い頃であれば自力で解体できたであろうモノが、4割ぐらいあった。だが、ノコギリを持って5回ひいた時点で「無理だ...」とくじけてしまった。理由は、自分の体力と怪我のリスクと解体作業で汚れる衣服の選択と解体作業後の床の清掃などの合計コストと、粗大ごみ処理券の金額を天秤にかけると、粗大ごみ処理券を買った方がコストが安いと思ったからだ。手元がおぼつかない動作で無理にノコギリを使って怪我をすれば、その後の生活に支障がでるし、怪我から回復する期間も若い頃のようにはいかない。「ああ、これが、齢をとると何でもカネで解決するようになるということなんだなぁ」と痛感した。
②鉢植えの花:
私にとって、屋外の鉢植えは、防犯のためだけに存在する。土まみれになって植え替えるなんてクソめんどくさいことをやる暇があったら、私は他のことをやりたいのだ! それでも鉢植えを続けるのは、対外的なメッセージのためである。「ここには人が住んでいるぞ!」「そして鉢植えの花を手入れするくらい、ここの住人はキチンとしているぞ!」というメッセージを、鉢植えの花は暗に発している。「割れ窓理論(broken windows theory)」と根っこは同じで、防犯的な意味があるので、クソめんどくさい鉢植えを続けているのである。ところが、この鉢植えの花には調達リスクがある。植え替えのタイミングで適切な花苗が近くの花屋に出ていないことを度々経験したので、近年は、鉢植えの植物の上部を切って、屋内で冬の間に発根させて毎日水を足して水耕栽培し、春夏の鉢植えの苗にする、という、ほんとうに実にクソめんどくさいことを続けてきた。そのほうが、植え替えのタイミングに花屋に苗が無いというリスクを回避できるから、毎年そうしてきたのだ。ところが今年は、春にそれらの自家製苗を植えて以降、梅雨明け前後から一苗また一苗と枯れていき、8月中旬にはほとんど枯れてしまったので、初めて通販で花苗セットを買った。植え替えの手間はかかるが、苗の調達をワンクリックで自宅まで届けてもらえるのは便利だと思った。そのぶん、苗を購入するコストがかかるが、致し方ない。それに、今まで冬の間に自家製苗を水耕栽培している、屋内で日の当たる場所が、階段の上で、水やり時にいつも「今ここで足を踏み外したら、まっさかさまに階段から転落するなぁ」と、こわごわ水やりをしてきたのだ。数年前に屋外で転んで顔から道路に落下したことを思えば、怪我のリスクを避けた方が賢明なことは明らかなのだ。危険な場所で水やりしていて階段から転落して骨折した場合にかかるコストと、毎シーズン通販で苗を買うコストと、どちらが安いかを、両天秤にかけた結果、今後は毎シーズン通販で苗を買おうと思った。
庭のある家では、住む人の老化によって、庭の手入れを外注することになるのではないか? 隣の家の植物が自分の敷地に伸びて来られると、嫌なものである。私もそれを経験して嫌な思いをしているから、面倒な地植えはしたくないし、庭らしい庭もないので、私の場合は鉢植え数個の管理でもうたくさんだ! 現在ガレージに残っている園芸用土を使い切ったら、完成品の小さめの寄せ植えの鉢をシーズンごとに通販で1つ買って玄関先に置くだけにしたい。小さめの寄せ植えにしたい理由は、寄る年波で、植木鉢はなるべく軽い方がいいし、不燃ごみとなる植木鉢の廃棄コストを抑えるためである(割って小さくしないと粗大ごみ扱いになってしまうから)。
もっとも、鉢植えぐらいでこんなに考えるのは、私にカネが乏しいからだ。私が金持ちだったら、お手伝いさんに植え替えをやらせるか、造園業者や植え替えサービスを利用して、自分は「美しいお花をめでるだけ」の優雅な御身分でいたい。
体の弱体化は気の弱体化に直結し、動けない(動くのが億劫(おっくう)になる)気持ちがダブルで増幅する。そう実感した。
だから、
ゴミ屋敷化の問題は、
加齢による体と気力の弱体化+不用品の処理にまわせるカネが無い
が原因だろう。
怪我のリスク無く動けるうちに不要なモノを処分して良かった!と心底思う。
そして、
今後ますます、不用品の処理など生活面のモノやコトをカネで解決しなければならなくなると思うから、
処分が面倒になるモノは極力買わないことに加えて、
生活に必要な家具などの「潜在粗大ごみ」の将来の処分費用を脇に蓄えておく必要があると思った。
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先日から記事の冒頭に掲げはじめた、元禄の天才、井原西鶴翁が今から350年前に願われた「日本永代蔵(えいたいぐら)」の願いを、微力ながらというかほぼ無力なんですが私も受け継いでいきたい:
日本に永代(えいたい)に、永久(とわ)に、豊かさと繁栄に輝く蔵が、建ち並んでいますように。
そして、先日書いたように、「人生とは、片付け続けることである。」という言葉と、「死ぬことは、生きること。」という言葉が、確かな実感として心に浮かんだ。「死ぬことは、生きること。」を、姉妹ブログの標語にし、「人生とは、片付け続けることである。」を、本ブログの哲学とする。
人生とは、片付け続けることである。
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今日も、私が目指す、溜めすぎるな!の方向性を今一度確認する。
モノについて
モ① もらったモノは、基本的に捨てる。
モ② 10年以上経ったモノは、「捨て」を検討する。
例外:将来カネになりそうな貴金属(金・プラチナ)や、
死んだら棺桶に入れてほしい個人的にプライスレスなモノは、
保有し続ける。
モ③ つまらないモノには、近寄らない。
ストレスについて
ス① もらったストレスは、すぐ脳の外に出す。
ス② 稼働していない人間関係は、基本的に終わらせる。
ス③ つまらない情報には、近寄らない。
このブログの目的は、還暦を目前に、
家の中と脳の中をスリム化+最適化することによって、「シニアのミニマルライフ」ならぬ
「シニアの実(み)の成るライフ」を追求することである。
アラ還の生活を、少しずつスリム化+最適化して、
健康で、無駄もなければ不足もない、
実(じつ)の有る暮らしを淡々と続けられる、
「シニアの実(み)の成るライフ」を目指していく。
家の中も、脳の中も、
溜めすぎるな!
だがカネは貯めろ!